Édouard Manet, Roses dans un vase de verre (détail)

渋谷にある総合文化施設Bunkamuraは、喧噪に満ちた駅前とは対照的に、静寂と平穏、そして知的な楽しみに溢れています。

この場所で現在行われているのが、「印象派への旅 海運王の夢――バレル・コレクション」という企画展です。19世紀末から20世紀前半にかけてグラスゴーの実業家ウィリアム・バレルが収集した膨大なコレクションから、およそ80点の絵画が来日し展示されています。

4月の末から始まったこの展覧会に、遅ればせながら私も行ってきました。なかなか優れた内容でしたので、既にご覧になった方とは共に思い出を振り返るために、そしてまだ行かれていない方にはぜひ足を運んでいただけるように、所感を書き留めておくことにしました。

1. 風景画

「印象派への旅」というタイトルから明らかなように、今回の展覧会では印象派・ポスト印象派の作品が複数展示されています。ルノワール《画家の庭》は、そのなかでもとりわけ優れたものです。

ルノワール《画家の庭》

事物ではなく光を追う印象派のまなざしは、空間を満たし光を拡散させる大気の存在を暴き出します。とりわけこの作品においては、そのような大気が、むせかえるほどの濃密さで額縁の中を満たしています。

今回展示された作品のなかで、他にこのような空気の充溢を感じさせるものとしては、アンリ・ル・シダネルによる2枚の風景画が挙げられましょう。ただし彼の筆が描くのは、ルノワールのような享楽的な陽光ではなく、冬の街や夜の海をぼんやりと照らす、微かな明かりです。

アンリ・ル・シダネル《雪》
アンリ・ル・シダネル《月明かりの入り江》

「雪」では、左の民家から漏れる赤い光が屋外に拡散し、雪に赤みを帯びさせています。また《月明かりの入り江》では、薄い月光と点在する照明が、わずかに波打つ海に反射しつつ、港を幻想的に照らす様子が描かれます。

これらのような印象派・ポスト印象派の作品に加え、今回の展示では、ドービニーやブーダンといった、印象主義の先駆者たちの作品も見ることができます。それらの絵画では、陰影に満ちた空の様子や、水面に映る影の揺らぎが的確に捉えられています。

シャルル=フランソワ・ドービニー《ガイヤール城》
ウジェーヌ・ブーダン《ドーヴィル、波止場》

ドービニーやブーダンは、印象派のような大胆な形象の解体を行わず、基本的にはフォルムの明確な作品を描きました。しかし不定形な雲が漂う空や、揺らめく水面に注目したこれらの絵画は、やはり印象派を予告するものです。

以上の作品は、すべて印象派ないしその系譜に属するものです。これらの絵画は、「印象派への旅」という題名に誘われて会場を訪れる者を満足させることでしょう。しかしながらバレル・コレクション展で見られるのは、そのような絵画ばかりではありません。印象派以前の絵画、あるいは印象派と同時代ないしそれ以降の絵画でも、この流派から距離をおいた作品は、とりわけ静物画や風俗画といった領域において、印象派とは異なる魅力を発揮しています。

2. 静物画

ファンタン=ラトゥールの静物画を楽しみにこの展覧会を訪れる方も少なくないことでしょう。実際彼の作品は、荒い筆触で描かれた印象派の作品と並べられることにより、一層その精緻な描写が強調され、展示作品のなかでも際立っていました。

アンリ・ファンタン=ラトゥール《春の花》
アンリ・ファンタン=ラトゥール《桃》

《春の花》に描かれた花弁の一枚一枚は瑞々しく、物質的な存在感を感じさせます。また、彼の描く桃は、表面を覆う柔らかな毛茸まで表現されており、本物の桃が持つあの質感を思い出させます。このような物質性を読み取る楽しみは、事物を光に還元してしまう印象派絵画では味わえないものです。

また、彼の桃のすぐ近くに飾られたフランソワ・ボンヴァン《狩りの獲物のある静物》は、衝撃的な作品でした。

フランソワ・ボンヴァン《狩りの獲物のある静物》

中央に垂直に伸びるウサギの脚が、水平なテーブルを底辺とする二等辺三角形を形づくります。安定した構図を生み出すこの大胆な脚が、まず見る者の注意を引くことでしょう。次いで細部を見ていくと、三角形構図が作り出す調和のなか、右側に野ウサギと野鳥が、左側に洋梨や林檎が、対称に置かれていることに気がつきます。この配置のために、獲物と果物は響き合い、ジビエに馴染みのない我々からすればかわいそうとも思えるウサギが、そのような先入観を裏切り、果実と同じ自然の恵みに見えてきます。動くか動かないかという違いがあるだけで、ウサギは本質的に一種の果実に他ならないのではないか――ここで描かれる丸々としたウサギは、まるで桃かプラムのようであり、豊かな果肉と果汁を、柔らかな毛皮の奥に秘めているように思われるのです。まさかウサギがこれほど食欲をそそるとは思いもしませんでした。この絵画は、虫も殺さぬ私を、獣の血を渇望する聖ジュリアンに変えてしまったのです。

ファンタン=ラトゥールやボンヴァンの絵画は写実的で精緻な描写により特徴づけられますが、その一方でマネやペプローは、あえて荒い筆致を用いることで、対象の性質を的確に捉えています。マネの《シャンパングラスのバラ》については後述するとして、ペプローの2作を見てみましょう。

サミュエル・ジョン・ペプロー《バラ》
サミュエル・ジョン・ペプロー《コーヒーとリキュール》

バラの妖艶さ、陶器のひんやりとした質感、グラスの透明感、銀のきらめき――一見粗雑にも思われる筆遣いにより、ペプローは事物の物質的特徴を見事に表現しています。実際彼の作品を間近で見ると、筆の荒さに驚かされますが、彼は決してぞんざいに描いているわけではないのです。

精緻な筆致であれ、荒い筆触であれ、対象を描き、その性質を浮き彫りにするという絵画の本質的な楽しみのひとつが、これらの静物画には存分に感じられました。

3. 風俗画

今回の展覧会には、風景画や静物画と並び、多くの風俗画が展示されています。華やかなものから静寂を湛えたものまで、様々な作品がありましたが、まずは何といってもエドガール・ドガ《リハーサル》に言及しないわけにはいかないでしょう。

エドガール・ドガ《リハーサル》

華やかな舞台とは対照的な、慎ましい稽古場の日常風景――しかしそのような散文的な光景を、画家は見事に構成し、確固たる一作品に仕上げました。画面右手前の3人と左奥で練習に励む娘たちを隔てる空間が、カーブを描いています。内側の線は右手前の3人を囲み、外側の線は、奥の壁から始まり、アラベスクのポーズをとる2人の踊り子を横切り、螺旋階段のくびれに沿って曲がります。画面中央に陣取るこの湾曲した空間は、踊り子たち以上に目立っており、あたかもこの絵画の主役であるかのようです。画面奥から手前に広がる、躍動感のあるこのカーブは、踊り子が描く運動の軌跡を思わせます。この作品において最も生き生きと踊っているのは、描かれた踊り子たちのいずれでもなく、この曲がった空間ではないでしょうか。また、この曲線に隣接する螺旋階段自体も魅惑的な曲線を描いており、さながらピルエットを行う踊り子のようです。おそらくドガは、大胆な構図や付随的な事物の曲線により、不動のキャンバスにバレエの動きを描き出したのです。今はまだどの踊り子のものでもないこの理想的なダンスの軌跡は、もしかすると、練習に励むこの部屋の娘たちの誰かが、近い将来、舞台上で実際に描くものなのかもしれません。

ドガの《リハーサル》は、大胆な構図により日常のささやかな光景を芸術に昇華した作品ですが、今回展示された絵画は、このようなダイナミックなものばかりではありません。例えばヤーコブ・マリス《ペットの山羊》などは、先程のドガとは対照的に、調和と平穏に満ちています。

ヤーコブ・マリス《ペットの山羊》

ヤギに餌をやる少女を、のどかな田舎の風景が包みます。ドガとは異なるものの、こちらも見事な構成です。会場で作品の脇に貼られている解説にあったとおり、この作品にはドーナツ状の構図が認められます。第一の円は、少女の腕に沿って描かれます。第二の円は、彼女の背中からスカートの裾に沿い、彼女とヤギを包み込むように描かれます。さらに背景は、第二の円に沿い、この1人と1匹を取り囲むように描かれています。一般に円というのは単体でも調和を感じさせるものですが、この作品においてはそれが画面中央の中心を共有しつつ多重に配置されているのです。極めて安定した構図に支えられたこの絵画は、鑑賞者に田舎の平穏を伝えます。

また今回の展示には、静謐さのなかにある種の崇高さが垣間見られるような作品も多く展示されていました。典型的なのが、テオデュール・リボー《会計士》です。

テオデュール・リボー《会計士》

暗い画面に、黒い服を着た会計士の肌が浮かびます。印象的なのはその手です。年季が入った、節くれだった木のようなその手は、一体今までにどれだけの文字を書いてきたのでしょうか。熟練した職人の手は、古い家具のように、年月の重みを感じさせます。

単調な日々の中で微かにきらめく些細な美を、これらの風俗画はそれぞれの仕方で写し取っています。今回の展示は、風俗画の基本にして精髄であるように思われる日常の美を堪能できるものでした。

総括、あるいはマネ《シャンパングラスのバラ》

今回の展示は、8000点以上にものぼるバレル・コレクションから、たった1%を取り上げたものに過ぎません。本来このコレクションには、中国美術やイスラム世界の工芸品など、絵画に限らず多様なものが含まれます。しかも西洋絵画に限定しても、今回展示されなかった名品は多数あり、おまけにルノワール《画家の庭》をはじめとするいくつかの展示作品は、本来バレル・コレクションには含まれないものです。したがって今回の企画展では、同コレクションの大まかな全体像さえ把握できません。それでもこの企画展は、風景画・静物画・風俗画という世俗的なジャンルを集中的に展示することで、我々に日常生活に潜む美の価値を教えてくれます。

最後に、エドゥアール・マネ《シャンパングラスのバラ》を見ておきましょう。

エドゥアール・マネ《シャンパングラスのバラ》

おそらく、たまたま手元にあり、ちょうど良い大きさだったのでしょう。バラは、花瓶の代わりにシャンパングラスに生けられています。このような些細な美は、簡潔な筆遣いで描かれるべきであり、凝りすぎた描写は禁物です。したがって、この作品に用いられた荒い筆触は、マネらしい手法であるという以上に、主題に対して適切なものであるといえましょう。ただし、大雑把な筆致で造作もないかのように描かれたこの絵画も、決して無作為なものではありません。シャンパングラスは、乾杯のイマージュを喚起します。杯には酒こそ注がれていないものの、代わりにシャンパン色の大きなバラが中央に生けられており、酒の代役を務めています。おそらくこの静物画は、平凡で散文的な日常に捧げられた祝杯なのです。

何でもない一日の最後に飲む、ほんの少し贅沢なワインのような、ささやかな幸せ――そのような日常の喜びは、ひとを圧倒する歴史画の迫力に比べれば大したものではないかもしれませんが、それでも一種の幸福には違いありません。しかもその喜びは、些細なものであるがゆえに、かえって愛おしく感じられるのです。

Bunkamuraのバレル・コレクション展は、6月30日まで開催しています。まだ行かれていない方は、ぜひ一度足をお運びください。

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