世間ではあちらもこちらもロックダウン、いつになったら日常に戻れるのやら、といった愚痴が聞こえて来ますが、インドア派の筆者などはコロナの後にコロナロスに見舞われるのではないかと危惧しています。しかし私が現在居住しているオランダでは確かにロックダウンは行われていましたが、外出制限はなし、アムステルダムあたりでは集団でたむろっていると警官が来て追い散らすとか聞いておりましたが、私の住んでいる町であるライデン市というところでは、そんな様子もなく、人々は勝手に公園や自分の家の前に座ってワインやビールを片手に真昼間から寛いでいます。春の晴天も幸いし、あまり危機感はありません。六月に入ると、三月の二十一日を境に営業停止になっていたカフェやレストランも再び営業が許可されました。さらに嬉しいニュースは美術館が再び開いたことです。予約が必須ですが(ネットで簡単に出来ます)、筆者は早速この二か月どの美術館にも行けなかった鬱憤を晴らすためにハーレムへ向かいました。

目的地はフランス・ハルス美術館(Frans Hals Museum)です。オランダの黄金時代を代表する画家のひとりであるフランス・ハルスの名前を冠した美術館で、建物 は現代アートを主に展示したHalとフランス・ハルス(1581頃-1666)の作品を始めとしたオランダ絵画を扱ったHofの二つに分かれています。

日本にいたところは美術館に熱心に足を運ぶタイプではありませんでした。日本の美術館の運営が主に企画展によって集客するというものであることも要因ではないかと思います。オランダの美術館はアムステルダムの王立美術館やゴッホ美術館、ハーグのマウリッツハイスなど、その美術館所蔵の作品が充実しており、年64.90ユーロで国内の400以上の美術館にいつでも行き放題というお得なカード(Museeumkaart)もあるので、公園にでも入るような感覚で気軽に訪問できます。

ですのでいつ行っても大抵訪問客が歴史のある美しい建築の中で、寄木の床の上をゆっくり歩いている姿を見ますが、私がこの日訪れた時は、火曜日の午後三時という時間のせいか、それとも美術館の再開を心待ちにしていた母数はそれほど大きいものではなく、カフェでのんびりビールを飲んでいる方が楽しいと思う人が多いせいなのか、実に一時間ちょっとの間、他の客の姿は二人しか見かけませんでした。それもその二人は美術館の中を公園を通り過ぎるように無造作に歩いて行ったので、一つの部屋に他人がいるということは、巡回する警備員を数に入れない限り全くない状態でした。オランダに住んでいる方、あるいは果敢にも今夏訪れようとしている方、今がチャンスです。名作を独り占めできます。

図 1 フランス・ハルス美術館内のフランス・ハルスの代表作が展示された大部屋。誰もいないし、コロナ対策でこうした部屋では必ずある筈の休憩用のソファーもなくなっています。

肝心のフランス・ハルスの紹介です。そもそもどうしてフランス・ハルスについての記事を書きたいかと思ったかというと、レンブラントやフェルメールなら知っているという人も、フランス・ハルスは聞いたことがないという人が多いのではないかと思ったからです。何を隠そう、私自身、フランス・ハルスの名はオランダへ来る機内で読んだチェコの作家カレル・チャペックの旅行記『オランダ絵図』(飯島周訳、ちくま文庫、2010)で初めて知ったのです。

この紳士が自分自身を描いた、その様子を見たまえ――破滅的で飲んだくれの肥満した巨大漢、一張羅を着た乱暴者で、頭は熟慮に堪えられず、手は画筆を振るうのも困難だ。しかしそれを、恥知らずにも、呪わしい男の当然さと確信を持ってキャンヴァスの上に塗りたくっている。自分の職業における、残酷な巨匠。注文された肖像画を、熟睡もせぬ目で、まばたきも惜しんで描いている。それがかれの生活で、小さなオルガンの音が響くなか、名誉あるブルジョア女性たちはレースの服を着て息を詰め、長老たちは鼻を鳴らし、巨匠はほとんど怒らんばかりにキャンヴァスに絵具をたたきつける。というのも、報酬の額が面白くないだろうから。肉体がそのまま天才である。飲酒と卒中でこの世から去って行く、すべての血の気の多い仲間の一人だ。(同上、106-107頁)

チャペックは、フェルメールについて書いた一節ではその清純さに対して、「これらの絵の前に立って、巡礼者は、息をひそめ、何も汚すまいと忍び足で立去る」(同上、105頁)と書いています。一方フランス・ハルスについては「今はもう、息をひそめてささやき声で話す必要はない」(同上、106頁)と対照させています。実際に、次のような絵を見れば、ハルスの絵の豪快さというものがよく分かるのではないでしょうか。

図 2 Frans Hals, Banquet of the Officers of the St George Civic Guard, 1616「聖ゲオルギウス市民隊幹部の宴会」フランス・ハルス美術館

このあからさまに楽しそうな連中は一体何者でしょうか。聖ゲオルギウスというのは聖人の名前ですので、賑やかしとして置いておくとして、「市民隊(オランダ語ではschutterij)」というのは簡単に言えば町の自警団です。レンブラントの有名な「夜警」も市民隊を描いたものです。ここに描かれている幹部たちは町のお偉いさんです。地位やお金がないと幹部にはなれないのです。町の有力者たちは自分の雄姿を絵に描いてほしいと望んだらしく、すでに肖像画家として名を上げていたフランス・ハルスにこの集団肖像画の作成を依頼します。この絵がハルスの初めての集団肖像画でした。

図 3 Cornelis van Haarlem, Banquet of the Officers of the Company of St. George, 1599 「聖ゲオルギウス会社の幹部の宴会」フランス・ハルス美術館

図 4 Cornelis van Haarlem, Banquet of Members of the Haarlem Calivermen Civic Guard, 1583 「ハーレムのマスケット銃市民隊の宴会」フランス・ハルス美術館

専門家によると、ハルスの上の絵は図2や図3のコルネリス・ファン・ハールレム(1562-1638)の市民隊の絵を参考にしたものだそうです。ポイントは隣の人に向かって身を乗り出して何やら喋ったりしている人や向き合っている人といった風に全体が何グループかに分割されていることです。この手法によりわざとらしさがなくなり、生き生きとした効果が生まれるのです。

ところで図3と図4、どちらの絵の方がよいと思うでしょうか。一般的に図4の生き生きとした感じは図3には少なく、また図2はみな同じような顔をしています。描かれた年を見て下さい。図4の方が先で、コルネリス自身の中での発展史で言えば、現代の私達には硬直して見える図3の方がより円熟した作品ということになるのかもしれません。コルネリスはマニエリスムの画家と言われており、きっと若い時に試してみた(図4は21歳の時の作です)個々人の個性を描き分けることなど詰まらなくなったのでしょう。(コルネリスやハルスの集団肖像画について、更に詳しくはAlois Riegl, The Group Portraiture of Holland, Getty Publications, 2000を参照。ちなみにGoogle Booksで無料で読めます)

改めて、この三つの絵を見比べてみると、ハルスのものが最も生き生きとしているという印象を受けるのではないでしょうか。とある専門家はコルネリスの絵では確かに手の動きなど動作は生き生きとしているものの、表情は硬直していると指摘します。ハルスの絵では口元の形がそれぞれ異なり、ピンク色の頬、視線、など生きているような表情を指摘し、ハルスの絵は正に瞬間を捉えたスナップショットのようであると評します。日常の一瞬を切り取ったという点において、ハルスのこの絵は肖像画でありながら、風俗画に近いものだというのが専門家の見解としてあるようです。(Christopher D.M. Atkins, The Signature Style of Frans Hals: Painting, Subjectivity, and the Market in Early Modernity, Amsterdam University Press, 2012, pp. 37-38)。当時の慣習として集団肖像画といえども、自分を描いてもらうために個々人がお金を払っていたといいますので、その肖像画としての出来と、それを風俗画にも見えるようにするという折衷は素人が想像するよりずっと難しいのではないでしょうか。幹部の序列によって重視する人物がある程度決まるとはいえ、個々人からお金を貰っている以上誰一人ないがしろには出来ません。それをポーズを取ったような不自然さを消しながら、個々人がよく描けているという域に持って行くのはやはり巨匠の技なのでしょう。

図 5 Frans Hals, Regents of the Old Men’s Almshouse, 1664 「養老院の男性理事たち」、フランス・ハルス美術館

図 6 Frans Hals, Regentesses of the Old Men’s Almshouse, 1664 「養老院の女性理事たち」、フランス・ハルス美術館

この一対の絵もハルスの代表作です。描かれたのは養老院の理事たちですが、この養老院の建物は現在正にこのフランス・ハルス美術館になっています。この絵は印象派に影響を与えたことで有名です。絵が書かれた17世紀から評価は高かったのですが、それでもその特徴的なスケッチのような、荒く見える筆遣いを貶す声もありました。これらの絵が描かれた時、ハルスは80歳頃であったため、もうハルスにはまともな絵を描くことは出来ないのだ、というわけです。しかし19世紀に入ると、印象派の画家はこの絵を高く評価し、モネやマネはわざわざこの二枚の絵を見るためだけにハーレムに足を運んだと言われています。袖口や襟、手などに特にはっきり見て取れるように、カメラでぶれてしまった時のようなぼやけたタッチ、複雑に混ぜ合わせられたというよりただ並列に配置されたような色使い――一見「雑」にも見える大胆な描き方は精緻さによる写実主義からは一線を画しています。当時、こんな描き方をする画家は他に誰もいませんでした。

図 7 ハーレムにあるフランス・ハルス美術館の正門

筆者がフランス・ハルス美術館を訪れたのは二度目でしたが、一度目はただ散歩したようなもので、いくつかの絵画のイメージがただ脳内の記憶に保存されただけでした。今回、じっくりとオーディオガイドを聞きながらメモを取ってみましたが、一枚の絵画だけでどれだけ多くの情報があることでしょう。上で見たように、一枚の絵にもそれにまつわる他の絵があり、絵画の世界というのは、ある意味で外界から自立した、それだけで遊べるゲームのようなものなのだと感じました。そうやって捉えると、現実と似ているか似ていないかでうまい下手だと思ったりするだけではない深い絵画の世界が開けます。調べて行くと切りがありませんが、メモを片手に美術館に行くことから始めてみませんか。

最後に、フランス・ハルスの絵には笑っている人物が多いことが有名です。それも美しいしとやかなほほえみと言うより、下卑たニタニタ笑いといいましょうか、それが多い。私はオランダに来た当初、オランダ人は他人と目が合うだけで実に素敵な微笑みを見せてくれるのに感激したことがあります。しかし数か月でその印象は消え去ったことから見ると、そうした美しい微笑みは、運河の上を飛ぶカモメや郊外のポルダーと呼ばれる湿地に生息する白鳥をロマンチックに思う感情が月日とともにやはり消えたのと同じように、もはや注意を引かない日常の風景になったのでしょう。しかしフランス・ハルスの微笑みは今なお新鮮さを保って見えます。誰だって酔っぱらってニタニタ笑っている表情など、永遠に写真に記憶されるとなると恥ずかしいと思うもの。映画俳優などの作り笑いは美しいですが、それだけです。作り笑いではない、日常の、ふとした瞬間に漏れる生き生きとした表情をフランス・ハルスの絵画は切り取って見せているからこそ、その絵画はわれわれの頭に焼き付くのではないでしょうか。

図 8 Frans Hals, The Merry Drinker, 1628-1630 「陽気な酒飲み」、アムステルダム国立美術館

フランス・ハルス美術館(Frans Hals Museum)

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オランダ在住。オランダの文化や自然、その他ファッションについてなど諸々発信していきます。