クラシック音楽は衰退しているのか?

みなさまこんにちは、ライター高橋です。最近仕事の都合で古い友人と会った時に、タイトルにあるような議論をしましたので今回はそれについて語ってみたいと思います。

クラシックを聞くというハードル

結論からいうと、世の中に浸透しきってしまったクラシック音楽に対するハードルの高い印象が何よりの原因であると思っています。街中の若者にクラシックに対するイメージを聞いたら大多数の人間が「クラシックってなんか難しそう。」「堅苦しい印象だよね。」といったような答えを返してくることでしょう。

残念ながらこれらの回答の半分は正しいと言えるのかもしれません。クラシックの作品は、元は貴族などの上流階級に向けて作曲されていたものが多く、ベートーヴェン以後は大衆にも広く知れ渡っているのですが、ここ日本では200年前の風習そのままのイメージがすっかり定着してしまっている部分があると思います。また、ロマン派以降の作品においてはシューマンやリスト、あるいはドビュッシーなどの作品において、文学や絵画などの他の芸術作品と密接な関わりを持つようになったり、シベリウスやショスタコーヴィッチなどの作品のように当時の政治的背景などによる影響などが強く現れているものなども多く、音楽以外の教養がある程度ある、もしくはそれらに対して感受性を持つことが出来ないと、聴いていても魅力を感じることができず、ただの音列と化してしまうこともあるでしょう。

そういった意味での「教養」がないと聴きづらいという印象と、元々上流階級の娯楽であったという印象が過大解釈され、「ただ堅苦しい音楽」というレッテルを貼られているという悲しい現状があります。

じゃあ実際の所どうなの?

クラシックがなぜ堅苦しく感じられているかを簡単に説明させていただきましたが、もう一段階踏み込んでクラシックを紐解いて行きましょう。

まず、クラシック音楽という括りはとてつもなく膨大で曖昧なものといっても過言ではないでしょう。というのも、一般的に知られているJ.S.バッハが生まれたのは1685年です。一方で先ほど名前を出しましたショスタコーヴィッチは1975年没です。ほんの40年前まで生きていたわけです。もっというとカプースチンなんかは今でも存命で作品を出していますが、こちらもクラシック音楽として扱われたりします。つまり、「クラシック音楽」という括りは”300年以上に渡る数多の国の数多の作曲家達の様々な歌ないし楽器の為の作品群」という途方にくれそうなものなのです。それらを全て一緒くたにしている事の方がまずおかしいでしょう。ロックに例えると、ビートルズもローリングストーンズもクイーンもグリーンデイも全部一纏めにして同じものとして扱っているようなものです。

それはそうかもしれないけど、じゃあどうやって呼べばいいのさ!

といった声があがってきそうですね。極端な話をすると、バッハはバッハですしベートーヴェンはベートーヴェンとしか言いようがありません。もう少し大まかに括って呼ぶのが良いでしょう、年代別にいうとバロック、古典派、ロマン派、近現代といった所でしょうか。その4つの分類がそれぞれ分岐して行くといった所です。特に近現代は、ロシア系、フランス印象派系、国民楽派系など、分類が多岐に渡っています。

結局ややこしいのでは?

このような定義付の話をしていたら自分でもクラシックはややこしいのではないかと思い始めて来ましたが、気を取り直してそんなことはないのだという事を伝えて行きたいと思います。

クラシックの演奏会に行ったり、聴いてみたときに「よくわからなかった」と言った感想になってしまった場合、原因は2つほど思い当たります。

まず1つめは単純に演目が難しい内容だった場合です。例えばプロコフィエフの後期のピアノソナタや、ヒンデミットの無伴奏ソナタなど、我々が聴いてもなかなか理解するのが難解な作品があります。そう言った作品を取り上げている演奏会などの場合、初めてクラシックを聴くと言った方にはかなり苦痛を伴う場合がないとも言えません。そう言った場合初めてのクラシックコンサートを楽しむ為の簡単な心得などを読んでいただければ演奏会選びの参考になるやもしれません。

2つめに考えられるのが、事前情報なしに全ての曲を聴いてしまった場合などです。先ほどもお話ししたように、作品が作曲されるまでには様々な経緯があります。演奏会などで配られるプログラムにはそう言った情報をプログラムノートとして書いている場合が多いので、開演前などに読んでおくとより作品の世界を理解しやすいと思います。より効果的なのは、演奏会に行く前に掃除などの家事や、作業中などにBGMとして軽く聴いておくというのも効果的でしょう。

この2つを改善するだけで、作品に対する印象が驚くほど変わってくると思います。ぜひ試しみてはいかがでしょうか?

奏者側の問題点

ここまで聴き手の認識についてお話しして来ましたが、より深刻なのは奏者側の問題点と言えるでしょう。

現在、SNSなどによる様々な広告活動が行われている中、私たちクラシックのアーティストはそういった時代の波に取り残されている傾向があります。原因として第一にあげられるのが「器楽のレコーディングは非常に難しい」という点でしょう。今やどのアーティストでさえデジタル音源を取り扱っていると言っても過言ではないポップミュージックでは、そもそもライブでもスピーカーを通して音源を聴くのでデータ化してメディアにアップロードしても素人目にわかるほど品質に影響が出るかというとそうでもないと思います。しかし、私たちは主にライブでもマイクを通さない音を聴衆に届けています。特に、ピアノなどは非常に多くの倍音を扱うという特性上レコーディングするのが非常に難しい楽器であります。そのため、各種メディアなどにアップロードするまでのハードルが他のジャンルと比べてどうしても高くなってしまい、結果として魅力を伝えられずにいるところがあります。それに付随して、クラシックのアーティストは自己PRが苦手な傾向があります。クラシック音楽をより普及させて行くにはもっとも改善しなければいけないポイントであり、私たちはより真剣にその課題について向き合って行く必要があるでしょう。

クラシックの今後

ここまで、なぜクラシックが衰退しているのかの大まかな原因を述べて来ました。実際、全盛期と比べてクラシック人口の低迷は間違いなく起こっているでしょう。

しかし、ネット環境が飽和して来た中、個人としての価値やリアルの価値を求める人間が増えて来ていると感じています。そう言ったある種リアルでありロマンのある芸術と言った点においてクラシック音楽は非常に強みがあると思っています。

新しくも古くもない普遍的な美しさを持ち、消費してしまうのではなく長く愛されるような音楽の世界を作って行くことこそが、クラシック音楽の未来を切り開いて行くのだと思います。

おわりに

クラシック音楽を取り巻く環境についてのお話、いかがでしたでしょうか?今後もこう言った小話なども執筆していきたいと思いますので、何卒よろしくお願いいたします。また、リクエストや質問などありましたらお気軽にコメントいただけると幸いです。

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