こんにちは。今回はウェブマガジン「RINASCIMENTO」の中でも、個人的な意見や思ったことを書く「PENSIER(思想)」のコーナーに投稿させていただければと思います。

さて、以前イギリスに出張に行った際、郊外の店やファクトリーなども巡るべく、レンタカーを借りてロンドン〜ノーザンプトンやオックスフォードなどを運転しました。

もちろんイギリスの制限速度に従って運転をするのですが、その中に気づいたことがありました。

それはイギリスの制限速度の多くが「自己判断」をベースにできているということ。そしてこの「自己判断」こそが、日本人に運転にこれから必要とされるものではないか、ということです。

イギリスと日本の速度制限の違い

さて、まずイギリスを運転していて感じたのは速度制限の違いです。もちろん言うまでもなく、日本よりもイギリスの方が法定速度は圧倒的に上に設定されています。

しかしイギリスの制限速度が高いのは「自己判断」に任せられる部分が大きいからではないか、と私は感じました。

イギリスの速度制限は以下のようになっています。M(高速道路)で時速70マイル(時速112km/h)、A(主要な幹線道路)は時速60マイル(時速96km/h)、B(市街地等の道路)は時速30マイル(時速48km/h)。

こうしてみると日本よりもやや高めの制限速度かな、という程度の印象です。

しかし実際には日本であれば50km/h制限になるような道がイギリスではAの96km/h制限であり、その内容は随分と異なります。例えば富士宮市から朝霧高原に迎う国道139号は50km/h制限ですが、まさに同じような道が96km/h制限なのです。

そしてイギリスのこういった道で制限速度ぴったりで走っていると「その道を走るのに考えられる限界速度」に近いのを感じます。カーブや交差点の付近では、制限速度に関係なく自分で判断して減速しなければ曲がりきれなかったり、危険だったりするのが当たり前なのです。その代わりカーブにはカーブの標識がつき、減速を促しています。

対して日本の制限速度は「その道の全ての区域を、非常に安全に走ることができる速度」に設定されていると言えるのではないでしょうか。例えば前述の国道139号には(あくまで体感ですが)仮に100km/hで走っても問題ない区域と、50km/h程度まで減速しないと危険が伴う区域が存在します。そういう場合、日本ではそこに50km/hの速度制限を設定するのです。

結果はどうでしょう。

日本では法定速度が実情に適合していないことが自明の理になっています。

そのため速度違反が比較的軽微な罪とされ、パトカーでさえも「5km/h程度なら」と速度超過で走っている状態です。すると今度は程度の問題になっていくでしょう。「この道で〜km/hなら超えても大丈夫」と、全員がなんとなく速度超過をするようになるのです。

しかし普段からカーブや危険を見極め、自分の判断で速度を加減しているわけではないので、いざ本当に50km/hで走らなければ危ないという状況になっても、その判断ができません。結果として、重大な事故が起きてしまうのです。

ここで人口10万人当たりの交通事故死者数(2015年 IRTAD資料)を見てみましょう。イギリスは2.8人、日本は3.8人です。つまり日本はイギリスの1.35倍ということになります。

もちろん様々な交通事情や、街の環境などの違いもありますが、これは注目すべき数値です。

イギリスでは同じような道で2倍近い速度の96km/hが出せる決まりになっていても、その中で自己判断する習慣があるので、状況に応じたスピードで走行できるのです。(とはいえイギリスの田舎道を96km/hで走行中にキジが飛び出してきたときには避けれないのが普通らしく、キジの死亡率は非常に高いです。)

こうしてみると、厳しい制限速度が事故を防ぐのではなく、運転手の意識こそが大事なのではないか、と思います。

ルールを守っていれば良し、という考え方

基本的に日本の交通は、できるだけ自己判断のいらないものになっています。

例えば信号機。日本では信号を厳密に守っていれば、基本的な事故を避けられます。それに対しイギリスではロータリーが主流なので、その度に高度な状況判断を強いられ、自分の走行位置や順番を考えつつ、周辺の確認する必要があります。

また日本では細い道から主要道路に出る場合ほとんどが一時停止になっているのに対し、イギリスでは多くがGIVE WAY(道を譲れ)になっています。つまり前者はルールにより強制的に止まらせることで安全を確保し、後者はあくまで運転手の判断に委ねています。

以前イタリア人が日本に来た時には、あまりの信号機の多さに驚いていました。

十分な確認と譲り合いで済む可能性がある場所にも、念のために信号機を設置し、より自己判断が必要ないようにしているのではないでしょうか。

個人的には日本人がイヤホンをして、携帯電話をじっとみながら青の歩行者信号を渡っている姿を見ると、どうしてもイタリアの恐ろしく混沌としながらも、全員が自分で自分の身を守るために周辺を確認をしながら歩いている風景を思い出してしまうのです。

また日本での歩行者信号の青の時間は、他の国よりもかなり長く感じます。イギリスでは数秒で車の信号が赤になり、すぐに歩行者信号が青になりますが、その代わり歩行者信号もすぐに赤になります。一度車を止めてしまえば、車の信号が青だからといって、ゆっくり横断歩道を渡る高齢者を無視して走り出す人はいないのです。

彼らはまた、このようにして止まり慣れていることもあり、信号機のない横断歩道でも渡ろうとしている人がいれば必ずといって良いほど止まります。普段から「止まるべきか」「速度を緩めるべきか」など自分で判断して運転しているため、周りの状況をよく見ているのです。

日本で信号のついていない横断歩道を渡ろうと小学生が待っているとき、その目と鼻の先を何台の車が「法定速度」で走り過ぎていくでしょうか。明らかに危ないシチュエーションであるにも関わらず、日本では信号がついていないという理由で、それが容認されてしまうのです。

これからの日本で必要になること

自己判断ができること、これは今後日本で車を運転するうえで、今までとは比べものにならないほど重要になってくると思います。

外国人が増え、スマートフォン世代を始めとして昔からの日本人的な感覚が薄れていくにつれ、もともと非常に高い次元で実現されてきた「常識」「ルール」のようなものが、あっさりと破られていくことでしょう。

もし日本での運転に慣れていない外国人運転手が2〜3割を占めるようになったら?

歩行者信号が青だからと言ってイヤホンをして、携帯電話をじっとみながら横断歩道を渡っていたら、きっと危険な目に遭うはずです。

全てを厳しい規則で支配すること。これは悍ましい崖っぷちに、紙のしきりを置いて見えなくし、安心してその横で生活するようなものですから…。

日本に対しイギリスが優れているとは決して思いません。それぞれの文化には、それぞれの良さがあり、それぞれの国民性にも良さがあります。そして私は日本にいるのが大好きなのです。

「ルールを守っていればよし」ではなく、ルールを守りつつ、さらにしっかりと自分で状況を判断し、適度な緊張感を持って運転する習慣ができれば、日本は世界で一番安心して車を運転できる国になるのではと思います。

[PR]『朝香珈琲』では、東京の地名をモチーフにした特別なコーヒーブレンドで、あなたの日常に新しい彩りを。可愛らしいパッケージの中に、都会的なコーヒータイムをお届けします。
Share.

後天的イタリア人。 メンズファッション、車、オペラ等について執筆する兼業ライターです。 本業は田舎の洋服店。