1989年に生まれた私ですが激変の日々だなと実感しています。私が子供の頃は毎日がゆっくりで、情報配信はテレビや新聞が基本。ADSLも無くダイヤルアップ接続でインターネットをする人は少数派でした。ジオシティーズやインフォシークホームページ無料作成でJavaScriptで文字を動かしたり、夜な夜なYahoo!チャットなどをしたものです。

ずっと住んでいた静岡市ですが、子供ころは春になると友達と静岡まつりに行き、夏になると安倍川花火大会を楽しみにしていたものです。静岡まつりは静岡浅間神社を中心に縁日の屋台などを桜のなか練り歩く程度のものですが、今考えると、その非日常感が楽しかったのでしょう。ここ2年は天候の事情で安倍川花火大会が中止、今年に至っては静岡まつりも中止になったというのです。遊びが多様化した今であっても若者からしたら残念でなりません。

先日R氏との雑談で出た話題が、手紙とSNSの共通性。私はR氏に、手紙は考えをまとめたユニークなもので、家でじっくり書くものでも、出先からサッと文章を書くハガキでも風情があると言ったのです。しかしR氏は、「今と変わらないじゃん!」と反論するのです。
つまり旅行先からの絵葉書は、いわばインスタグラムの投稿、手紙はDM(ダイレクトメッセージ)であると言うのです。確かに筆まめな女性は旅行先で何人もの友人に、現地で買った写真ハガキを送ると言いますが、それは今のインスタグラムの写真投稿に近いと言えます。
じゃあ、旅行に行かずに家から出す手紙はどうなの?風情あるじゃん。と私が反論すると、「家から出すハガキもまたイスタグラムだ」と指摘するのです。なぜかと問うと、家から出す手紙は立派な写真が無いから、庭に咲いた花や、近所のおじさんから貰った春野菜なんかを水彩でササッと書いて「私のうちではこんなものが育ちました(届きました)」と友人に送るというのです。鮮やかに一本取られました。
確かに今のインスタグラムを見ても、華やかな旅行ができない人は、近所の公園の鉢植えの写真を撮ったり、ラーメンの写真をアップしたりするのです。これがカメラか水彩画かの違い程度であって本質的には同じ事だと言うのです。これには目から鱗でした。

しかし私は、現代のSNSと手紙の文化で大きく異なる点を見つけました。それは構成された文章かどうかです。
この点をR氏に付き当てると、R氏もまた認めざるを得ませんでした。
どういう事かというと、近年のSNSはインスタグラムやツイッターなど、単発的な感情を主体にした文章を発信するということです。一方で、昔ながらの手紙というのは構成された文章で、明確な宛名が大きく書かれ、時には主題もあてがわれます。そして季節の言葉、相手の近況について尋ねる言葉、自分の近況について報告する言葉、そこから本題に入り最後は何かの問いかけや、会う約束の提案(それが実際に果たされないものであっても)なされる訳です。
これは何も大人だけの文章ではなく、子供の手紙や学校で流行していた交換日記であってもそうなのです。交換日記というのは2~5人程度の仲の良いグループが専用の秘密のノートに手紙を書いて、日付ごとにグループで回し合うのです。
R氏も交換日記を行った記憶があるそうですが、その日に起こった出来事をまとめたり、絵を付けることもあるというのです。
まさに現代のメーリングリスト、またはフォーラムとも言えるかもしれません。そこには現代と違った、構成された文章が残されて、一夜置いて朝に内容に問題が無いか再度チェックされてから友人に手渡されるという訳です。これがSNSと手紙の共通性と違いというわけです。

昔の手紙には、嫌いな相手に対しての誹謗中傷を書き走ることもあったでしょうが、それは基本的に強い衝動であり、翌朝にも感情が代わっていない場合に限り封が閉じられるのです。きっと途中まで、または完全に言葉が原稿に起こされた後、感情の起伏によって修正されたり、しわくちゃにされてゴミ箱に言った手紙も数多く存在したはずです。
しかし現在のSNSや連絡ツールは、基本的には一瞬の感情が文章に書き起こされて、それが一度も確認されないまま発信されることもあるのです。現代の10代たちは互いの連絡こそ非常に便利になり、好きな音楽も好きな写真も無料で自由に送りあったり、テレビ電話さえも無料でできるようになりましたが、互いの気持ちを伝え合う構成された文章から切り離されたという点で恵まれていないと言えます。

著者は忘れてしまいましたが、昭和の古い本の一節でこんな内容を読んだことがあります。「デートの帰りに髪型がきれいだったとか、服が良かっただとかハガキに書き起こし、投函しろ」と。翌日それが届いた彼女はきっと喜ぶに違いないと。
私の子供の頃は電話もありますし、携帯電話を持っている人も居たので、そこまで古風な事はありませんでしたが、そんな時代があったと思うと今となっては少し憧れます。確かにデートで映画を見に行った日に、帰路で別れた後もずっと頻繁にラインやツイッターで連絡が取り合えたり会話が続いてしまうよりも、そこから手紙以外で連絡が取れない状況のほうが余韻というものが濃く存在するように思えるのです。(はっしー)

※静岡市・駿府公園の桜

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1989年 静岡市出身。主な執筆分野:ライフスタイル、旅行、料理、お酒。