【翻訳】レミ・ド・グールモン「アルベール・サマン」(『仮面の書』より)

菊坂 高踏

Joseph Vernet, Soir d’été, paysage d’Italie

訳者まえがき

歴史に名を残すことなく、忘れ去られた詩人たちがいる。凡庸とみなされ、群小詩人と一括され、学界からも出版界からも等閑視されてきた彼らの作品は、はたして大作家たちのそれと比べて本当に劣っているのだろうか――これは文学史の根本問題である。

歴史を構成するのは、ただ有意な指標のみである。古来称賛を浴び続ける作品、当時物議を醸した作品、斬新な形式を世に問うた作品――文学史に載せられるのは、いずれも何らかの意味で際立った作品である。傑出した特徴がなく、目立たず、社会的意義も薄い作品は、歴史記述からこぼれ落ちてしまう。

ひとりの詩人を想像しよう。彼は隠遁者のように暮らし、生涯いかなる騒ぎを起こすこともなく、わずか数冊の詩集を遺し、静かにこの世を去った。あくまで節度を保った文体で書かれたその詩は、目新しさこそないものの、美しい陰影に満ちており、情趣を解する少数の同時代人を楽しませた。しかし僅少な支持者たちが上げた賛嘆の声は、彼の名を歴史に刻みつけるにはあまりに小さかった――仮にそのような詩人がいたとして、埃を被った古書の山から彼の詩集を救い出せるのは、ただ物好きの文学愛好家のみである。

レミ・ド・グールモンの手になる世紀末フランスの詩人列伝『仮面の書Le Livre des masques』を紐解くと、マラルメ、ランボー、ヴェルレーヌといった輝かしい名前とともに、今日では愛書家の間でさえ滅多に聞かれることのない名前が並んでいる。アルベール・サマンもそのひとりである。もっとも彼の詩集『王女の庭にてAu jardin de l’infante』は、世紀末から20世紀初めにかけ、増刷を重ね、それなりに広く読まれたらしい。にもかかわらず今日彼がすっかり忘れ去られているのは、おそらく時代のせいであろう。奇抜な試みばかりがもてはやされるこの現代に、彼のような素朴な詩人が愛されるとは思いがたい。彼の詩の美点は、もっぱら趣味や感覚の次元に存する。その作品は、あの時代特有のむせかえるような香気を湛えている一方で、デ・ゼッサントのような悪趣味に走ることは決してなく、繊細優美、どこかロココ的で、実に甘美である。また音声への配慮も行き届いており、フォーレが惹かれたのも頷ける。サマンの詩は、あくまで趣味人のために書かれている。彼の作品が学者に論文の主題を提供することはないだろう。

以下に訳出したのは、上記『仮面の書』に収められたサマンの文学的肖像である。非常に短い評論であり、これだけでは彼の魅力の半分も伝わらないように思われる。しかし19世紀末には、同じこの本を読みサマンを見出した者もいたに違いない。百二十余年を隔てた今、本稿により、彼らの発見を追体験する機会を読者諸氏に提供できたとすれば、訳者として幸いである。

アルベール・サマン

今日の少女たちや明日の少女たちは、ヴェルレーヌの詩のうちにある純粋なものを知り尽くしたとき、王女の庭に夢を見に行くだろう。『雅なる宴』の作者に負うところのものすべてを考慮に入れても(サマンがこの作者に負うところは、我々が思うより少ない)、アルベール・サマンは、数ある詩人たちのなかでも最も独創的で、最も魅惑的、そして最も繊細で最も甘美な者のひとりである。

En robe héliotrope, et sa pensée aux doigts,
Le rêve passe, la ceinture dénouée,
Frôlant les âmes de sa traîne de nuée,
Au rythme éteint d’une musique d’autrefois...

木立瑠璃草色ヘリオトロープのドレスに身を包み、己が思いを指でつまみ、
夢が過ぎゆく、帯は解け、
曳き摺る雲の裾が人々を掠める、
昔日の音楽の、途絶えた拍子を刻みつつ……

次の書き出しで始まる短い詩は、ぜひとも読むべきである。

Dans la lente douceur d’un soir des derniers jours...

落日輝く夕暮れどきの、緩慢な甘美さのうちに……

この詩は、フランス語で書かれた詩がどれもそうであるように、純粋かつ美しい。またその技芸には、深く感じられ長く考えられた作品特有の素朴さがある。自由詩、それは新しい詩法! これらの詩句は、韻律法にこだわる者の空しさと、シタールに熟達しすぎた者の不器用さを我々に理解させてくれる。そこにはひとつの魂が籠っている。

サマン氏の誠実さは驚嘆すべきほどである。思うに彼は、もし自らの経験により探索されていない感覚を変奏しようものなら、それを恥じるだろう。ここでいう誠実さは、純真さとは異なる。またここでいう単純さも、ぎこちなさとは異なる。彼が誠実であるというのは、思いをすべて告白しているからではなく、あらゆる告白を考え尽くしているからである。彼が単純であるというのは、彼が自らの芸術をその最後の秘密に至るまで研究し尽くしており、またそれらの秘密を、彼が苦もなく無意識に身につけてしまっているからである。

Les roses du couchant s’effeuillent sur le fleuve ;
Et, dans l’émotion pâle du soir tombant,
S’évoque un parc d’automne où rêve sur un banc
Ma jeunesse déjà grave comme une veuve...

落日の薔薇色が河面に触れる。
すると、夕暮れどきの青白い感情のうちに、
秋の庭園が思い出される。あそこの長椅子ベンチで夢見ているのは、
若くして未亡人やもめのように沈鬱となった僕の青春……

いわばこれは、穏やかになり、至って素朴な憂鬱を卑下することを受け入れ、大綬章を外したヴィニーというべきものである。彼はただ穏やかになっただけではない。彼は温和で、なんと情熱に溢れ、なんと官能に満ち、それでいてなんと繊細なことか!

Tu marchais chaste dans la robe de ton âme,
Que le désir suivait comme un faune dompté,
Je respirais parmi le soir, ô pureté,
Mon rêve enveloppé dans tes voiles de femme.

お前は自らの魂というドレスの中を、しとやかに歩いていた。
その後を追うは、飼い馴らされた牧神がごとき欲望、
僕は夕暮れのなか吸い込んでいた、おお純粋なるかな、
お前の女形のヴェールに包まれた己の夢を。

繊細な官能性、これぞまさに、詩句が詩法に合致したとき、彼の詩句が与えるであろう印象である。そこで彼が夢見るのは、

De vers blonds où le sens fluide se délie
Comme sous l’eau la chevelure d’Ophélie,

水に沈んだオフィーリアの髪のように、
流れる感覚がほどけゆく金色ブロンドの詩句、

De vers silencieux, et sans rythme et sans trame,
Où la rime sans bruit glisse comme une rame,

脚韻が櫂のごとく音も立てずに滑りゆく、
律動も筋道もない詩句、

De vers d’une ancienne étoffe exténuée,
Impalpable comme le son et la nuée,

音や雲のように触れられない、
くたびれた古い布でできた詩句、

De vers de soirs d’automne ensorcelant les heures
Au rite féminin des syllabes mineures,

短調の音節が執り行う女性的な儀式により
時間を魔法にかける秋の夕暮れの詩句、

De vers de soirs d’amours énervés de verveine,
Où l’âme sente, exquise, une caresse à peine...

微かな愛撫を感じ、魂が快に震える、
熊葛ヴェルヴェーヌが昂らせる愛の夕暮れの詩句……

だがこの詩人、陰影ニュアンスしか、ヴェルレーヌ的な陰影しか愛さないであろうこの詩人は、かつて荒々しい色彩派か、あるいは逞しい大理石工であったのかもしれない。この昔の、しかし本物に違いないもうひとりのサマンは、「招魂Évocations」と呼ばれる詩群の端々に姿を現している。彼は高踏派のサマンである。しかし彼は、大げさな文体で語るときさえ常に個性的である。「クレオパトラCléopâtre」と題された2篇の14行詩ソネは、言語の美のみならず観念の美を備えている。それは純粋な音楽でもなければ、純粋な彫刻でもない。その詩篇は欠けるところがなく、かつ生き生きとしている。それはまるで、ひとをとまどわせる奇妙な大理石である。そう、それは生きた大理石であり、その命は砂漠の砂さえ揺り動かし、肥沃にするのである、そばに鎮座するスフィンクスをもしばし惚れさせながら。

以上がこの詩人である。彼は、あらゆる鐘とあらゆる魂を一斉に震わせる技において、この上ない心地よさを発揮する。あらゆる魂は、この「華やかなドレスに身を包んだ王女infante en robe de parade」に首ったけである。

底本:Remy de Gourmont, Le Livre des masques : portraits symbolistes, Mercure de France, 3e éd., 1896, pp. 65-68.


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