Eugène Bidau, Paon dans le jardin (détail)

訳者まえがき

デ・ゼッサントおよびシャルリュスのモデルであり、ポール・エルーやエミール・ガレのパトロン、そしてブランメルの系譜に連なる最後のダンディでもある、ロベール・ド・モンテスキュー伯爵――19世紀末フランスの芸術や社会について調べていると、彼の名は至るところに見出される。この人物はまた詩人でもあった。かのフォーレの《パヴァーヌ》の詞は、彼の手になるものである。しかしこの一例を除けば、彼が残した作品は、今日ではほとんど知られていない。

portrait de Robert de Montesquiou
Robert de Montesquiou

当時においても、彼の詩は必ずしも高く評価されてはいなかったらしい。『仮面の書』の著者は、彼を二流の詩人とみなしている。確かに彼の詩はいかにも趣味的であり、好事家の手すさびといった印象を免れない。マラルメやボードレールから借りてきたような詩句が、花や宝石の名や、その他耳慣れない奇語で飾られたその作品には、真正な詩人の所産にみられるような、真摯な探求の跡は見受けられない。彼の詩は、言明しがたい何かを表現したものでは決してなく、ただ表面的な装飾美によってのみ読者を魅了する。それはいわば客間の飾り物か、あるいは一種のファッションである。

しかし、見事な額縁がときに絵画そのものを凌駕してしまうように、卓越した装飾は、必ずしも芸術――ロマン主義以降の、自己表現としての芸術――に劣るものではない。むしろ19世紀末は、表層的な装飾美が栄華を極めた時代である。ミレーはオフィーリアを花々で囲み、モローは神話上の人物に豪奢な宝飾品を纏わせ、ミュシャは官能的な曲線を描く草花で女優の姿を飾った。同様の感性は文学にもみられる。『さかしま』や『ドリアン・グレイの肖像』で繰り広げられる絢爛たる室内描写は、まさにその典型である。この流行は散文の領域にとどまらなかった。「当時、詩人たちは宝石詩lapidairesに用いられるようなありとあらゆる言語的宝物を好んで散りばめたものです1)」――この時代に青春を過ごしたポール・ヴァレリーはそう語る。彼自身を含め、世紀末の詩人たちは、まるで壺に象嵌を施すかのように、テクストに花や宝石の名を織り込んだ。それらが秘める象徴的意味は、主題が放つ光により照らし出され、読者を豊かな夢想へと誘った。

1) Paul Valéry, Sur les « Narcisses » (extrait), dans Œuvres, Jean Hytier (dir.), 2 t., Gallimard, coll. « Bibliothèque de la Pléiade », 1957 et 1960, t. I, p. 1561.

モンテスキューの詩は、確かにマラルメやランボーと肩を並べるほどのものではないかもしれない。しかしそこには、現代芸術が忘れてしまった美が、確かに息づいているように思われる。

以下に訳出するのは、先述の『仮面の書』に収められた彼の肖像である。グールモンによる評言はいささか手厳しいものの、モンテスキューの詩の性質を端的に解説している。優れた批判は往々にして優れた分析を伴うものだが、同論考はまさにその好例といえよう。

ロベール・ド・モンテスキュー

彼の『蝙蝠こうもりChauves-souris』が菫色のビロードを纏い初めて飛び立ったとき、次のことが至極真面目に問われた。ド・モンテスキュー氏は詩人なのか、それとも詩の愛好家なのか。また社交界の人生は、〈9人の娘a)〉への崇拝、あるいは9人も女がいては多すぎるから、そのうちのひとりへの崇拝と両立されうるのか。しかし、このようなことについて議論するのは、観念分離と呼ばれる論理操作に不慣れであることを白状するようなものである。なぜなら、木と果実、人と作品の価値や美を別々に評価することは、至極正当なことであるように思われるから。もしそう言ってよければ、玉石を問わず、書物はそれ自体として判断されなければならない。その出自たる鉱山や砕石所、奔流が問われてはならない。ケープタウンから来ようとゴルコンダから来ようと、ダイヤモンドがダイヤモンドであることに変わりはない。批評家にとって、詩人の社会生活は、讃歌の女神ポリュムニア自身にとってと同じくらい取るに足らないものである。この女神は、農民バーンズも貴族バイロンも、スリのヴィヨンも国王フリードリヒ2世も、分け隔てなく自らの取り巻きに招き入れる。〈芸術〉の紋章図鑑は、オジエのそれb)と同じ仕方では書かれていない。

a) 9人のミューズのこと。
b) シャルル・ルネ・ドジエ『フランス紋章大全Armorial général de France』(1696)。

ゆえに、この糸巻きを解こうとするのも、ド・モンテスキュー氏の名や彼の社交人としての立ち位置が詩人の名声に附したまやかしを問うのも控えておこう。

ここでいう詩人は「才女Précieusec)」である。

c) 17世紀にみられたある種の女性たちを指す。1610年ごろ、ランブイエ侯爵夫人を皮切りに、フランスでは上流階級の婦人が自邸でサロンを開く文化が成立した。サロンに通う女性たちは、自らの機知や趣味の良さを見せつけようと、迂言的で気取った言い回しを多用した。「才女précieuse」とは、彼女たちを揶揄して用いられた呼称である。

実際、あの女たちは実に滑稽ではなかったか。彼女たちは、幾人かの繊細艶美な詩人たちの語調を真似しようと、新しいものの言い方を思案し、また普通であることを嫌い、精神や衣装、身振りを奇抜なものにした。彼女たちの罪は、つまるところ「他の皆と同じようにする」ことの拒否であった。そのために彼女たちは安からぬ代償を支払うことになったように思われる。彼女たち――そしてその後1世紀半のあらゆるフランス詩は、滑稽さを極端に恐れた。遂には詩人たちはそのような苦悩から解放され、日を追うにつれ、独創性を表に出すことがますます許されるようになってきた。批評家たちは、詩人たちが裸身を晒すのを禁じるどころか、裸行僧のごとき簡素な装いを彼らに勧めている。ただし幾人かの詩人は刺青をしているが。

ド・モンテスキュー氏について真になされるべき論争は次の点にある。彼の独創性は、過剰に刺青を施されている。この詩人の美は、憂鬱を感じさせなくはないが、オーストラリアの原住民の長が好んでその身に描いた複雑な模様を思い起こさせる。しかし実のところ、彼がその身に纏う芸術は、それほど素朴なものではない。そこには、ニュアンスや図案における奇妙な洗練や、色調と線の愉快な奔放ささえ認められる。彼はものを考えるとき、まるで日本人のように、表意文字的な記号で考える。

Poisson, grue, aigle, fleur, bambou qu’un oiseau ploie.
Tortue, iris, pivoine, anémone et moineaux.

魚、鶴、鷲、花、鳥の重みにたわむ竹。
亀、菖蒲、牡丹、紅花翁草、雀たち。

彼はこのように語を羅列するのを好む。彼が上記のように甘美で生き生きとした語を選ぶと、彼が望む風景がなかなか心地よく喚起される。しかし、人工の空を背景に、見知らぬ不快な形象しか、魑魅魍魎の行列しか見出されないこともしばしばである。それから女・少女・鳥などは、あまりに東洋的な空想により形を歪められた置物である。置物bibelotsやくだらないものbabiolesについて、

Je voudrais que ce vers fût un bibelot d’art.

この詩句が芸術的な置物たらんことを願う。

とド・モンテスキュー氏の美学は言う。しかし所詮置物は、飾り棚や戸棚にしまっておくべき、楽しく壊れやすいものにすぎない――そう、戸棚に入れておいた方が望ましい。ならば、これらすべてのロカイユ装飾、すべての漆器、すべての陶器、そして彼自身が気取って言うところの「棚に並ぶ滴虫類」をすべて取り除けば、詩人の美術館は快適に歩き回れる場所となるだろう。その遊歩場において我々は、美に新しく陰影に富む気品を与えようとやきもきするひとつの魂が様々に姿を変えるさまを目にしつつ、楽しく夢想にふけるだろう。『青き紫陽花Hortensias bleus』の半分で、十分に分厚く、またほぼ全体が繊細で誇り高く甘美な詩情を備えた一冊の詩集が編めるだろう。「侍女Ancilla」・「未知なる死者たちにMortuis ignotis」・「生ける碑Tables vives」の著者は、あらゆる仮装を抜け出し、真の姿で現れるだろう――良き詩人として。

以下は「生ける碑」の一部である。題名は晦渋だが、その詩句は美しい明晰さを備えている。もっとも、あまりに高踏派的ないくつかの脚韻のあまりによく知られた音や、いくつかの言語上の不確かさは認められるが。

... Apprenez à l’enfant à prier les flots bleus,
Car c’est le ciel d’en bas dont la nue est l’écume,
Le reflet du soleil qui sur la mer s’allume
Est plus doux à fixer pour nos yeux nébuleux.

……青い海原に祈ることを子供に教えよ、
なぜならそれは地上の空で、その白波は雲なのだから。
海に輝く陽光の反射は
我らの曇った目には、より心地よくとどめられる。

Apprenez à l’enfant à prier le ciel pur,
C’est l’océan d’en haut dont la vague est nuage.
L’ombre d’une tempête abondante en naufrage
Pour nos cœurs est moins triste à suivre dans l’azur.

澄んだ空に祈ることを子供に教えよ、
それは天の海であり、雲は波なのだ。
難破船を一杯に抱えた嵐の影も、
我らの心には、碧空に目で追うよりかは悲しくない。

Apprenez à l’enfant à prier toutes choses :
L’abeille de l’esprit compose un miel de jour
Sur les vivants ave du rosaire des roses,
Chapelet de parfums aux dizaines d’amour...

森羅万象に祈ることを子供に教えよ、
精神の蜜蜂は陽光の蜜を作る、
薔薇のロザリオの生きた数珠アヴェの上に、
一連ごとに愛をなす、香りの念珠の上に……

要するに、ド・モンテスキュー氏は確かに存在する。青い紫陽花、緑の薔薇、白い牡丹、彼はひとが好奇心を持って花壇に見るあの花々なのである。ひとはその名を尋ね、その思い出を保ち続ける。

底本:Remy de Gourmont, Le Livre des masques : portraits symbolistes, Mercure de France, 3e éd., 1896, pp. 235-239.


目次

III. アンリ・ド・レニエ
VI. アルベール・サマン
X. ヴィリエ・ド・リラダン
XXVIII. ロベール・ド・モンテスキュー
XXX. ポール・ヴェルレーヌ

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