とある四十代男性は理学系の大学を出て、現在は研究職に従事しているそうです。誰がみても頭脳明晰で、権威のある職業にも就いています。そんな男性がある日、妻がゲルマニウムネックレスを片手に「芸能人の○○君が使っているコレ買ってから(調子)いいのよ」と喜んでいると、「そんな詐欺商品は一切許容しない。」と奥さんを完全論破して泣くまで怒りつけるという話を聞きました。確かに私もゲルマニウムネックレスに効果効能は認められないと思いますし、医学的にみても無意味な商品かもしれません。しかし物を切り替えて考えたらどうでしょうか。

「あなたと行った○○神社の御守りをカバンに入れてから調子いいのよ」こんな事を言われれば、わざわざ「御守りは布の中に紙が入っていて無意味な詐欺商品だ」とは反論しないはずです。

それは金額の問題でしょうか?確かに御守りは500円、ゲルマニウムネックレスは1万円と大きな差があります。御守りは厳密には初穂料というそうですが、神社の酉の市で商売繁盛のために熊手は数万円、それ以上の金額のものもあります。人形やしめ縄のついた熊手はゲルマニウムよりも科学的根拠は乏しいといえます。

家族写真を財布に入れている人にも、その写真はただの紙とインクの集合体で無意味と指摘しないでしょう。なにも神道だけでなく、キリスト教でも神に対しての信仰心を深めたい、目に見える物を通して神に祈りたいという理由から古典古代には既にイコン(絵・器)が作られて祈りのイメージを高める道具として使われてきました。本来、キリスト教(正教会など)では旧約聖書に記された十戒に基づき偶像崇拝を禁止しているのですが、漠然と神に祈るだけでなく、イメージでその力を高めたいという気持ちから、イコンを通してその先にある神を強く思ったそうです。それらの絵に仔羊や鳩、葡萄の枝、薔薇などが出てくるのは聖書に出てきたモチーフをもとにして祈りのイメージを高めたいからといえます。

「神はいないし、死後の世界はない。」科学的にはそうでしょうが、祈りを捧げる人は無意味なのでしょうか。私はエビデンスや証拠を優先する現代だからこそ、非科学なものを許容することが必要だと思っています。芸能人とお揃いの1万円のゲルマニウムネックレスを身につけて心の健康が保たれるなら、その商品が100円の価値もないとしても、本人にとっては意義のあるものといえます。
貴石や指輪などジュエリーは、ヨカーリスjocalis「喜びを引き起こすもの」というラテン語が語源になっています。それらは換金性が高いというだけでなく、その天然石の持つ神秘性に価値を見出している人もいるのではないでしょうか。

中には人の心につけ込んで何十万円、何百万円の疑似科学の道具を売り付けようとする悪徳業者も存在するので、闇雲に疑似科学の全てに意味があるとは思いません。しかし、本人や家族が困らない範囲内であれば一概に無駄とは言い切れないはずです。むしろ、「あのゲルマニウムの会社がボッタクリだ、神社は神聖な場所だから意味がある」と反論してしまえば、それこそ非科学的な感情論に成り下がってしまいます。

非科学的なものの内容や金銭の有無、信仰心の深さなどは家庭にって許容できる範囲が様々だと思いますが、「非科学的なものは一切許容しない」と頑なに思っている人がいれば、少し見方を変えてみると気づきがあるかもしれません。

 

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1989年 静岡市出身。主な執筆分野:ライフスタイル、旅行、料理、お酒。