近代に建てられたお城はノイシュヴァンシュタインだけじゃない――ドラヘンブルク城(Schloss Drachenburg)

まだらの牛

数年前中国の寧波(上海の南にある中規模の都市で、歴史は古く、遣唐使が潮流に任せていたらそこに着いたり、倭寇がそこから上陸し杭州のあたりまで攻め込んだりと日本との関りも深い場所です)という場所に住んでいた時、たまに市内からバスや電車で一二時間の距離にある山にハイキングに出かけていました。その時気付いたのは中国の山は竜にちなんだ地名や伝説が多いこと。「五龙潭」(五匹の竜の池)といった名前の山に出かけると、登って行く途中の池はすべて竜にまつわる伝説があります。竜の名前が着いた山や池の地名はありふれており、どうしてそんなに竜が好きなのかと感心するような呆れるような気持でいました。

この夏ドイツに出かけた時のこと。ケルンに行ったのですが(リナシメントでも旅行記を書きましたが)、近郊の村や町にも行きたいと思い、ケルンの南の都市ボンからほど近いケーニヒスヴィンター(Königswinter)という小さな町にも足を運びました。目当てはそこにあるお城、Schloss Drachenburg、ドイツ語を知っている方ならお分かりでしょうが、日本語に訳すとするなら「竜城」。うーん、ドイツよ、お前もか。

どうしてそんなに竜が好きなのでしょう。ドイツも竜が重要な役割を果たす伝説を持っている国です。中世の叙事詩『ニーベルンゲンの歌』やワーグナーの一連の歌曲で特に知られるジークフリートは竜殺しの英雄でしたね。

Schloss Drachenburg(ドラヘンブルク城)はそうした竜伝説を想起させる名前を持つお城です。お城というと中世のイメージがありますが、これは19世紀に建てられた新しいお城です。有名なノイシュヴァンシュタイン城も19世紀に建てられた代物ですし、中世に憧れる近代という構図がここにも見出されます。

では誰がこの城を建てたのでしょうか。

初代城主Stephan von Sarter

1833年に生まれたこのシュテファン・サルターという人物はスエズ運河の財政などに関わった証券アナリストとして巨額の富を築き、1881年には男爵の爵位を得るに至ります。1882年にこのドラヘンブルク城の建設を始め。1884年には内装や家具の運び入れまで一通り完成します。しかしこの男爵はパリに住んでおり、滅多にここを訪れませんでした。1890年代の終わりには城を売ろうとしますが、買い手は現れず。一体どうしてつくったんでしょう……。

持ち主が転々

1902年にこの初代城主が死んだ後、一旦は甥のヤコブ・ビーゼンバッハ(Jakob Biesenbach)がこの城の次の持ち主になりました。ヤコブはホテルや別荘を城の側に作り、お城を観光地化しました。1910年にはフォン・シモン(von Simon)というRittmeister(大尉とかそんな感じの軍隊のお偉いさん)に城は売られ、フォン・シモンはお城の横から飛行船を飛ばしてみたり、城の更なる観光地化を進めました。

ヘルマン・フロール(Hermann Flohr)という工場主が1923年に次のこの城の持ち主になりました。彼は城の周りにあった小屋を増設し、赤十字に提供したりといったことをしました。1930年に彼はお城をキリスト教の修道会に売り渡すことを決意します。

1931年に修道会は聖ミヒャエルという名のついた寄宿学校をそこに創設しました。キリスト教系の学校にふさわしく、元々あったウェヌス像とか酒の神バックスの女性信奉者マイナス(Bacchantes)像などの装飾は取り払われたり、隠したりされました。Kunsthalle(芸術の大広間)という芸術家たちがステンドグラスに描かれた広間があったのですが、そこはチャペルになりました。

芸術の大広間(Kunsthalle)のステンドグラス。左からルーベンス、デューラー、レンブラントが描かれている。

そこで平穏な日々を過ごしてた彼らですが、時代の波が押し寄せてきます。1938年にはナチス政権のもと、学校は閉校に追い込まれます。

城の次の用途もまた学校でした。今度はエリート養成のアドルフ・ヒトラー学校になったのです(1941年)。そのアドルフ・ヒトラー学校はよそで建設中の新校舎の建設が遅れて、この城を臨時校舎として使うことにしたのでした。校舎として使うために改築が行われました。この改築によって、また手ひどい空襲によって、城の原型は大きく損なわれることになりました。

1947年からはヴッパータール市(Wuppertal)の国鉄(Reichsbahndirektion)がそこを訓練施設として用いました。破壊されていた部分は修理され、城の内部では授業が行われ、活気が取り戻されました。

1960年にしかし彼らが去ってのち、10年間城は誰も持ち主が付かず、廃墟になりました。この状態を救ったのは布商人であったパウル・シュピナート(Paul Spinat)です。彼が個人としての最後の城主です。シュピナートのもと、城は修復され、部分的には若い芸術家が自由に壁画を描き加え、1973年には城の一般公開も始めました。シュピナートは様々なセレブリティーを招き、アンディ・ウォーホルがこの城を訪れたこともありました。1989年の死の時まで、彼はここに住み続けました。

1986年にこの城はドイツの保護文化財(Denkmalschutz)に指定されていました。シュピナートの死のあと、1995年から城の大規模な再建が始まりました。そして2010年にとうとうお城の一般公開が始まりました。ですから、このお城が訪問できるようになったのは結構最近のことなんですね。

そもそもなぜ竜?

城の中にあるニーベルンゲンの間(Niebelungenzimmer)のステンドグラス

どうしてお城に「竜」の文字が付いているのでしょう。初代城主シュテファン・サルターが何もないところから勝手につけてみたというわけではありません。このお城、ドラヘンフェルス(Drachenfels)という丘に立っているのです。

ドラヘンフェルスは丘の名前ですが、同時にその丘の頂上のこともさします。フェルス(Fels)というのは岩や崖という意味で、ちょうどその頂上の崖の上に中世のお城の廃墟がのこされています。ドラヘンフェルス城(Burg Drachenfels)は12世紀にケルンの守りのためにそこに建てられました。三十年戦争(1618-1648)の間に破壊され、再建されることはありませんでした。

ロマン主義の時代、この城は多くの詩人や芸術家をひきつけましたが、そのブームに火を点けたのはバイロン卿でした。

The castled crag of Drachenfels
Frowns o’er the wide and winding Rhine.
Whose breast of waters broadly swells
Between the banks which bear the vine,
And hills all rich with blossomed trees,
And fields which promise corn and wine,
And scattered cities crowning these,
Whose far white walls along them shine,
Have strewed a scene, which I should see
With double joy wert thou with me!

— Lord Byron, Childe Harold’s Pilgrimage

上の引用はそのバイロン卿の詩の抜粋です。有名どころでは他にハインリヒ・ハイネが「ドラヘンフェルスの夜」(Die Nacht auf dem Drachenfels)という詩を書いていたりします。ドラヘンフェルス自体がどうして竜に因んだ地名が付けられているのかははっきりしません。ドイツの竜伝説というと上に触れたようにジークフリートの竜殺しが有名ですが、それと関連付けられたりもしているようです。

なら実際現地に行って「竜的」な要素は何かあるの? 近代は珍妙な施設を用意していてくれています。

ニーベルンゲン会館(Niebelungenhalle)

実は私はこの場所に行っていないのです。今行けばよかったと後悔しています。読者の方にはぜひこの場所に行ってほしい。ワーグナーを記念してオペラ『ニーベルンゲンの歌』の場面を壁画に描いたユーゲンドシュティル(Jugendstil)の建物です。1913年にワーグナーの生誕100周年を記念して建てられました。付属施設には竜のすまう洞窟もあり、そこでは13メートルの岩の竜が待ち受けているとか。親子連れにも結構なことに、爬虫類館も付属している。

はじめてこの施設について知った時はなんてキッチュなものを作るのか(誉め言葉です)、と驚愕して、ついでだし入って見ようかと思ったのですが、このニーベルンゲンの広間、ドラヘンブルク城やドラヘンフェルスに登る途中にある。帰り道に寄ろうと思っていたら、帰り道はなんとなくハイキングがしたくなり違う道を通ってしまい、と結局入らなかったのです。

中の壁画は芸術的に優れているそうで、ユニークな美術館として訪れてみることをおすすめします。

いかがでしたでしょうか。ドラヘンフェルスは小高い丘で歩いても三十分ほどで頂上まで着くことができます。ケーブルカーも出ています(ケーブルカーを利用の際は大人一人往復12ユーロ、片道10ユーロなので往復利用がおすすめです)。丘の下の町ケーニヒスヴィンターは小さいながらライン川を望む風光明媚な場所で、ケルン辺りからクルーズ船に乗って行くこともできます。日本からはるばるこれのみを目的として行くような場所ではありませんが、近郊の都市なりを訪れたさいに少し足を延ばしてみる場所としておすすめできます。

 

ドラヘンブルク城(Schloss Drachenburg)(英語)

 入場料:大人5ユーロ

 開館時間:季節によって変動があるので公式サイトを要チェック

ニーベルンゲン会館(Niebelungenhalle)(ドイツ語のみ)

 入場料:大人6ユーロ

 開館時間:3/15-11/1までは毎日10:00-18:00

        11/2-3/14までは週末、休日、クリスマス休暇のみ開館11:00-16:00

*以上は2020年8月29日現在の情報です。

 

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