訳者まえがき とある高名な仏文学者に聞いた話では、ヴェルレーヌを専門とする研究者は意外に少ないらしい。マラルメやランボーと並び称されるこの大詩人に専門家が付かない理由は、氏いわく後期の作品群にある。ある作家を専…
文学
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訳者まえがき 俗悪なブルジョワジーに物申すにあたり、ヴィリエ・ド・リラダンが皮肉という形式を選んだのは、実に賢明なことである。彼らは皮肉を解さない。皮肉によって語るのであれば、関わりたくもない彼らからの余計な仕…
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訳者まえがき ヴィリエ・ド・リラダンは、革命が生んだ最後の悲劇である。彼はフランス有数の名家の血を引きながらも、没落貴族の末裔として、貧民同然の暮らしを強いられた。「現代において真に高貴な唯一の栄光たる大作家の…
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訳者まえがき デ・ゼッサントおよびシャルリュスのモデルであり、ポール・エルーやエミール・ガレのパトロン、そしてブランメルの系譜に連なる最後のダンディでもある、ロベール・ド・モンテスキュー伯爵――19世紀末フラン…
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訳者まえがき 「今どきレニエを読むとは珍しい」――古書店の老店主にそう言われたことがある。つくづくお世辞のうまい店主である。この詩人を愛する者にとって、過去への愛に勝る美徳はないのだから。 アンリ・ド・レニエの…
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訳者まえがき 歴史に名を残すことなく、忘れ去られた詩人たちがいる。凡庸とみなされ、群小詩人と一括され、学界からも出版界からも等閑視されてきた彼らの作品は、はたして大作家たちのそれと比べて本当に劣っているのだろう…
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ついに読み切ったバルザック「ゴリオ爺さん」 控えめに言っても余り面白くなさそうなタイトルで、昨年に冒頭の「ヴォケール館」まで読んだもの描写の”汚さ”にすっかり怖気づいてしまい、やっとこ読み終わりました。大人にな…
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優れた小説を読み終え、本を閉じた後に感じる、あの満ち足りた気持ちを何と言えばよいのだろうか。ひとを恍惚とさせるあの幸せなひとときに、私はいつも、自分の心を満たしている朦朧とした感覚を言語により明確化しようと試み…
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「雅宴画Fête galante」――ヴァトーが美術アカデミーに入会する際、《シテール島への巡礼》に与えられた名前です。その後は同作品のような絵画に用いる一般的な呼称となりました。 この語句はまた、19世紀の詩…
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本稿について(2020年4月追記) 本稿は、『リナシメント』創刊を祝し、2019年5月に私が著したものである。一応マラルメのソネ「挨拶Salut」の翻訳・解説となっているが、その前後の文章は、端的に言って駄文で…