オランダ植物通信 1

まだらの牛

最近大江健三郎を読んでいますが、この作家は植物について非常にこだわりが強い。『水死』(講談社、2009)という小説でなんらかの植物の固有名詞が出て来る頁を数えて見たら435頁中40頁ありました(主に木に着目していたので花などは見逃しているかも。完全に正確な数字ではありません。そしてこの数字は多いのか少ないのか比較材料を提供していないので分かりませんね。悪しからず)。さてみなさん、小説に出て来る植物の名前、全部実際に知っていますか。例えばこの小説に出てくるものでいえば、椿、ハナミズキなどは有名ですので当然見て分かるという方も多いでしょう。しかし「スダジイの木」なんてものになると怪しくなってくるのではないでしょうか。また植物の名前というのは興味がなければ名前だけ知っていて、実際にそれを見ても分からない、という人も多いのでは。

しかし実際どうでしょう。生きていて植物の知識を問われる機会など滅多にありませんよね。その結果かなり本を読んでいる人でも名前は知っていても実際どんなものか分からないという植物が大量に出てきます。私自身、植物に注意を払うようになったのは最近のことで、昔は本を読んでも、植物の名前はただ読み飛ばしていました。

しかし年を取ったのか、身の回りの植物や鳥の名前が気になるようになりました。私事になりますが、父が数年前からバードウォッチングに凝り出したというのも影響しているかもしれません。以前中国に住んでいたのですが、そこで知り合ったアイルランド人にもバードウォッチングに凝っている人がいて、ちょうど父と同じくらいの年齢(六十前後)でした。動物にせよ植物にせよ、ある程度の年齢になると自然界に人は注意が向くようになるようです。どうせ年を取って自然界に興味が行くようになるなら今から少しずつ動植物の名前を覚えて行けば、老後の楽しみがより充実するのでは。そう思って日本にいた最後の一年ほどせっせと四季折々の植物を観察しておりましたが、オランダに来てから植生が変わったのでまたやり直しになりました。ここに来てあと数か月で一年。そろそろ身近によく見かける木の名前が分かってくるようになりましたのでご紹介したいと思います。

まずは私の住んでいる町ライデンの街路樹で一番よく見かける木リンデン(セイヨウシナノキ)。高校生の頃、国語の教科書に載っていた森鴎外の「舞姫」に「ウンテル・デン・リンデン」(リンデンの木の下で)というベルリンの通りの名が出て来たのを思い出しますね。ラテン語ではTilia × europaea、英語でcommon limeとかcommon lindenなどと呼ばれます。落葉性で(deciduousという英語を覚えましょう)、今(六月)青葉が茂って非常に美しい時期です。小さい葉の種類(tilia cordata)と大きい葉の種類(tilia platyphyllos)も厳密にはあるのですが、街中で見かけるのは普通それらの掛け合わせのcommon limeだそう。

初夏の様子。花が咲き始める前ですね。ハート形の葉っぱはギザギザで先っぽが尖っています。

 

下の方からも葉っぱが生えてきます。

 

成長すると樹皮はひび割れてきます。

 

次はプラタナス(鈴懸の木)。所々剥げた迷彩柄のような特徴的な樹皮ですぐに分かります。葉っぱの形も特徴的で覚えやすい。やはり街路樹に好まれ、数百メートルにわたってプラタナスの並木という通りも。鈴懸の木という和名のように鈴のような見た目の実が秋にはなります。日本にもたくさん植えられていますね。

カエデ属とも似た葉っぱの形。

 

ただの感想ですが、プラタナスの樹皮を見るたびに印象派の絵画が思い浮かびます。

 

次はオーク。ヨーロッパといえばオークの木。ウィスキーやワインの樽にも使われていますね。オークの代表種は英語でEnglish oakと呼ばれるようにイギリス人はオークの木に誇りを持っているようでもあり、しかし最近は国民の半数がこの木を同定できないとか(Emily Beament “Save the ash tree? Half of us can’t even recognise an oak”, The Independent, Friday 12 July 2013 )。そのEnglish oak(ヨーロッパナラ)は葉っぱの形が特徴的なため、覚えやすいです。この木は大変大きくなる木でまた寿命も長い。少し郊外の森などへ足を伸ばすと、見事な巨木に出会います。オークの木はヨーロッパでは神話に出て来ることも多いようで、『水死』では社会人類学者ジェームズ・フレイザーの有名な『金枝篇』から「森の王」という主題が語られます。

イタリア、アルバン丘陵の、ネミ湖畔の森に、大きいオークの木がある。暗い顔をした王が、剣を提げてそれを守っている。王自身を守っている、ともいえる。この王と闘い、王を斃した若者が、新しい王となる。「死にゆく神」という通り、神々も不死じゃない、死すべき運命にある。王が老いて衰弱すると……いま現在、その身体の生命力が、世界の豊穣を約束してるということなんだから……世界も滅びるほかない。その危機にどう対処するか? 人々は王が自然死するのを防ごうとするんです。まだ王にエネルギーが残っている間に、次の王の候補者にかれを殺させる。新しい王の誕生によって、世界の豊穣が更新される……そういう仕組みです。(同上、308頁)

このネミの王の時代にはイタリアらしい月桂樹やオリーブ、夾竹桃はなく、ブナやオークが茂っていたらしいです(同上、322頁)。そう考えると、ヨーロッパの広い範囲でいかにこのオークという木が重要かというのがイメージできますね。ちなみにこの王殺しの話は『水死』の語り手の父が太平洋戦争末期、軍の将校たちと企画したというテロ計画と重ねられ、小説の中で論じられて行くのですが、詳しくはぜひご自身でご一読ください。植物を軸にする読書というのも今までと違う発見があったりして、おすすめです。

可愛いらしい形の葉っぱ。

 

ごつごつとした樹皮はたくましさを感じさせます。

 

近所の公園で。ブランコが吊るされちゃっています。

 

上で名前が出て来たのでブナ(ヨーロッパブナ)の写真も上げましょう。ブナはブナでもこれは英語でcopper beechとかpurple beechとか呼ばれるもの。名前の通り葉の色が銅色だったり紫色に見えます。春に大きく枝を張り、美しい紅葉を見せている滑らかな樹肌の木があれば、このブナの可能性が高いです。

光の反射によって表情を変える奥深い紫色の葉。つるつるしており、触ると気持ちがよい、金属的な感触があります。

 

美しいですね。この個体ではないですが、別の所で、通りすがりの初老の男性が家族に向けてmooie beuk!(きれいなブナだ!)と嘆賞の声を上げておりました。やはりこの木は抜群に美しいのです。家族には無視されていましたが。

 

滑らかな樹皮。

 

こんな実がなります。

 

次もブナですが、個人的にもっとも気に入っている樹木の一つです。名前は日本語にするならば「泣きブナ」。Weeping beechという名前が想像力を誘います。外から見ると禍々しいようでもありますが、中に入ると地面に着くまで垂れた枝葉に囲まれて、家に帰ったように落ち着きます。子供は絶対この中で遊ぶと楽しいでしょう。

葉っぱと実。

 

禍々しい御姿。

 

別の個体ですが、枝を掻き分け中に入ると癒されます。

 

頭上を見上げると木漏れ日が。

 

最後はおまけにユリノキの花。アメリカ原産ですが、日本でもよく植わっていますね。東京で言えば、赤坂離宮の辺りの通りはずっとユリノキが並んでいます。今ちょうど可愛らしいチューリップに似ているとか言われる蝋燭のような色の花が咲いています。ちなみにこの写真はライデンの植物園で写したものですが、植物園の訪問記はまた今度お届けしたいと思います。その植物園は一月にイチョウの木の下にフキノトウが顔を出していたりする、日本ともゆかりのある場所なのです。

半纏みたいと言われる葉っぱとチューリップみたいと言われるお花。初夏に咲きます。

 

いかがでしたか。まだまだご紹介したい樹木はたくさんあります。Elder(ニワトコ、ハリーポッターに出て来る最強の杖の材料ですね)とかhorse chestnut、wingnut、ashなどの名前は植物にあまり興味がない人でも聞いたことがあるのではないでしょうか。次回またご報告したいと思います。

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