『古代ローマ旅行ガイド』の現代との比較

はっしー

フィリップ・マティザック『古代ローマ旅行ガイド:一日5デナリで行く』、安原和見訳、筑摩書房、ちくま学芸文庫、2018年を読んでみました。

人口も規模も世界最大の、古代都市ローマ。タイムスリップしてそこを訪れるとしたら?そんな想定で作られたのが、このトラベル・ガイドブックだ。イタリアまでの船旅の手配、快適な宿屋探しのコツ、お得なショッピング情報等々、アドバイスが満載。豪華な宮殿、にぎやかなフォルム、豪壮なパンテオンやユピテル神殿など名所はもちろん、公衆浴場や売春宿、戦車競走や剣闘士の死闘などのエンターテインメントまで、あますところなく紹介。ローマ豆知識コーナーや、多数のカラー図版、会話集を完備した文庫オリジナル。いまだかつてだれも思いつかなかった観光案内 内容(BOOK」データベースより

西暦200年ごろのローマ旅行をテーマにした本ですが、歴史的な解説で史実を反映しつつも、カジュアルにどこからでも読み進められるという初心者から中級者に向けた構成になっています。専門的に勉強する人からしたら物足りないかもしれませんが、まるで映画テルマエ・ロマエの舞台や、Spartacus(スパルタカス)1960年の剣闘士の奴隷反乱が浮かんでくるような”少し興味がある”人でも読み進められます。
ただし人名やラテン語、細かな地名・建造物が出てくるので実際にローマに行った事が無い人はイメージが掴みにくいかもしれません。コロッセオ(円形闘技場)、パンテオンやアウグストゥス廟などは現在でも実際に見る事ができます。
そこで今回は本書で得た古代ローマガイドの知識と、実際に21世紀にイタリア旅行をした時の比較と感じたことを書いてみます。

ローマへの行き方

本書にある安全な海路、船旅でオスティア港に入港してローマに向かう方法は既に一般的ではありませんが、オスティア港のあるイタリア ラツィオ州フィウミチーノに”空港”に到着するのは現在でも変わりありません。
そして空港近くの数十ユーロで宿泊できる格安宿に泊まるというのは、二千年前と同じく余りお勧めできないのです。東京では快適で衛生的なビジネスホテルが6~7千円で泊まれますが、古代ローマも現代のローマも格安の宿というのは安全性と衛生的な意味でお勧めできないのです。
しかし面白いことに古代ローマの宿では手荷物が無くなったときに賠償責任を負うと法で決まっていたそうです。今のローマでも安い宿だと荷物の紛失がありますが、イタリア語を話せないと泣き寝入りすることになります。

ウィラ(田舎の邸宅)の在り方

ローマに近づくにつれ、建物はどんどん垢抜けてくる。アッピア街道から分かれてのびる道の先に、しだいに豪勢な門が現れるようになったかと思うと、そのさきの門の向こうには堂々たるウィラで、街道近くの斜面や丘腹という最高に眺めのよい場所を確保している。

このように後200年の時には既にローマ周辺にウィラ(現代のイタリア語ではヴィラ)があったようです。全くもって現代と同じようにローマ市街に拠点を置き夏の暑い時期は郊外のウィラで過ごしていたようです。イタリアのゴブラン織り(タペストリー)の中には郊外のウィラで丘の中腹にパラッツォ(別荘の建築)を建てて優雅に過ごす姿が描かれていることがありますが、現代も古代もローマに住む人の憧れはウィラのようです。実際に昨年末のローマ旅行でも現地のタクシー運転手が「賃金は多くないけど、郊外の庭作りの一軒家に住み、車でローマ市内に仕事に来るから幸せだよ」と私達に語ってくれましたが、日本人とは異なり狭い市街地に住むくらいなら郊外の庭付き一軒家で過ごしたいと気持ちは中流階級の人々でもあるようです。なにはともあれローマ人は小高い丘から景色を一望するのはロマンであれ憧れの生活ようのです。

※写真はローマとバチカン市国を見渡しながら昼酒を飲む退廃的な私達の図。

ローマの水道橋

ローマ市街にあるリナシェンテ(百貨店)トリトーネ店には古代ローマの水道遺跡を見れるスペースを用意されています。これはAqua Virgo ウィルゴ水道と呼ばれ、アッピアとアルシエティナについで3番目の低さだそうです。当時の水量は1日に10万立法メートル。

AQUA VIRGO AQUEDUCT CULTURE COMES TO LIFE The Basement offers the department store design more than one element of uniqueness: first and foremost of which is the Aqua Virgo Aqueduct archeological site. Built by the ancient Romans, the Aqua Virgo Aqueduct is still working today twenty centuries later, providing water to nearly all the grandiose fountains in the center of Rome including the Trevi Fountain.

古代ローマ人によって建てられたこの乙女の水道橋は、20世紀後の現在も稼働していて、トレビの泉を含むローマ中心部のほぼすべての壮大な噴水に水を供給しています。リナシェンテの解説より

このように2000年経った今でもローマ市街では当時の水道を意識することができます。しかしもっと驚く事は、少し郊外に向かうだけで以下のような水道橋を目にすることです。

二段アーチ型になっていて、長いものは141キロメートル。21世紀の今でさえ作るのが困難なほどの規模と言えます。
更に驚くことがその精度で、1キロ当たり34センチの傾斜が付けられて、50キロメートル(31マイル)の距離で垂直方向にわずか17メートル下がる設計です。100メートル当たりわずか、3センチの高低差を付けて設計されているのです。
現代のやっつけ仕事のイタリア人からは想像もできない工事の精度で、日本人よりも緻密で精巧な設計であったと言えます。
本書ではローマの主要な水道と、その水質、法や不正についても語られています。実際に現在でも一部は当時の水道が使われているそうです。私達も山の上のホテルに泊まるときと、市街地Via Del Corsoのホテルに泊まる時では水の硬度や味が全く異なる事に驚きました。建物の水道管の劣化なども関係すると思いますが、山の上のホテルの方は飲めるほどに軟水で髪の毛を洗ってもしっとり、市街地はやや硬水で飲めずに不味く、髪の毛もゴワゴワな印象がありました。

本書では水道橋の後には7つの丘と、行政区についての解説などが続きます。

※パンテオンは何度も修復されていて朽ち落ちた部分から当時の煉瓦が覗いている。

ローマ人の食事

食事はローマ人にとっては重要事で、一般に社交の場と見なされている。

肉や鮮魚、スパイス、パンについて様々な解説がされています。古代ローマ人は収入の50%を食べ物に費やしていたために食事についてもうるさかったそうです。
食べる相手とその場所も重要で、家が丘の高い場所にあれば、食堂の一面に壁がなく市内を見渡すことができる絶景テラスのような場所で食べるのが最上とされていたそうです。それが叶わない場合でも、慎ましい庭を見ながら食事をしたり、さらに庭が無くても、庭園や田園地帯を思い起こさせるフレスコ画を眺めながら食事をしたそうです。

まさにこれは現代のローマ人にも共通することがあり、とにかく彼らは外で食事をするのが大好きです。完全な外ではなく、オープンテラスのような開放的な外席で食べるのが本当に好きです。ローマ市街はいわば日本の東京に相当する中心地にも関わらず、半数以上のレストランがテラス席を用意しています。
12月の息も白いかじかむ寒さの日にも、レストランに行くとTerazza?(外座る)と聞かれますし、慣れてくると私達も外でストーブに当たりながら食事をしてしまうのです。

※屋外で庭とプールを眺めながら食事したい人で予約がいっぱい。当日に予約すると、中の席なら空いてるけど外は満席だよ!と言われることも…

ローマの秩序と友人関係

信じられないことに今から2000年前にはローマは既に近代国家のように法が整備されていて、社会の秩序が保たれていたということです。日本は弥生時代で田植えや高床倉庫を作っていた頃に、ローマでは神々を称えるパンテオン(すべての神々※ギリシャ語)などを建築して、パンと見世物で市民をまとめ、法治国家として機能していたのです。
近衛軍、首都駐留軍、夜警隊と分類されて違う役割を持ちますが、中でも驚いたのが裁判がある程度正しく行われて、刑罰に至っても公の場所で執り行われたということです。皇帝の支配する国という意味の「ローマ帝国」でありながら、意外にもローマ市民に対して公平性が保たれていたということです。つまり多くの市民が見守るなかの裁判や懲罰ということから、民主主義であったとも言えます。
また面白いことに警察というのが存在せずに、個々の横つながりに委ねられていたという事です。現代のイタリアでもそうですが、友人のツテというのが最も大切でamicitia(アミキティア) ラテン語で友情、イタリア語ではamici(アミーコ単数 アミーキ複数)=友人、がローマの秩序を保っていたと言います。誰かが悪いことをすると、すぐに噂が広がり、仕事が無くなったり住みづらくなるというのです。
現代のイタリア人も友人関係や家族をとても大切にしますし、ローマ市街を例に挙げると、スペイン広場のブランド店のスタッフが、コルソ通りやコンドッティ通りのリストランテの従業員と仲が良かったり、ワッツアップを交換して頻繁に連絡していたりするのです。今の日本では、よほど小さい村でない限り、このような事はありませんが周辺で働く人の多くがつながって、Facebookやmixiのように「友人の友人は私の友人」のような状態が今のローマにもあるようです。
とあるナポリ人の情報によると、不動産を探すとき日本人はSUMOやHOME’Sをスマホで開きますが、イタリア人では先ず友人、「誰か空いている部屋持ってる人いない?」と聞いてもらい、友人同士もしくは更に知り合いにあたってもらい仲介するなんてのは一般的なようです。

『古代ローマ旅行ガイド』の現代との比較まとめ

ローマ人は、支配領域の内海となった地中海を「われらの海」とよんだ。海賊や山賊の不安もなく、道路が敷設され、貨幣や度量衡も整備された。その平穏な時代はパックス=ローマーナ(ローマの平和)とたたえられ、およそ200年にわたった。

東京書籍の世界史Bでは、何の面白げも無くにwikipediaのように古代ローマを解説していますが、「古代ローマ旅行ガイド」は遥か彼方から懸命にローマに辿り着き、その文化を遊び尽くそう!といった側面からカジュアルに解説している面白本です!
今まで遠く離れた漠然としたイメージだったものが、イタリアを何度か訪れて本書を読んだお陰でぐっと近づき、同じ人間だったんだなぁと言う感想を持ちました。このガイドを片手にローマを訪れれば、古代ローマに対して、また今のイタリア人の習性についてもきっと理解が捗るはずです。


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